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ヴァイオリン・渡部勇一さん(2025年7月~9月)

ヴァイオリン・渡部勇一さん(使用楽器:Cat.no.38、ヨアヒム・アントニオ・カペラ 1996年製)の活動報告です。


活動報告:
大阪万博で演奏させて頂きました。

第91回金の卵サロンコンサート《渡部勇一・佐野駿・宮本佳音》【特定非営利活動法人ハマのJACK】 | 赤坂ストラドホール

【曲目解説】
バッハ 無伴奏パルティータ第2番より シャコンヌ
 ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)は生涯に無伴奏ヴァイオリンのための曲を、ソナタ、パルティータ各3曲ずつ、合わせて6曲書いたが、その全曲中、単一楽章として最も長大なものがこの『シャコンヌ』である。シャコンヌというのは固有名詞ではなく、17世紀から18世紀にかけて流行したやや緩やかな3拍子の器楽曲の一ジャンルを指す名称である。シャコンヌには、冒頭に提示された主題を何度も変形して反復する変奏曲の形式を取るという大きな特徴がある。また本日演奏する『シャコンヌ』は、大きく3つの部分に分かれており、まず悲壮なニ短調の第一部、次に一転して第二部は救われたようなニ長調となり、頂点に達した後、再びニ短調の悲劇的世界に回帰する、というのが全体的な構成である。

 この作品については、バッハの信じ難いほどの構成の巧妙さに注目が集まるかもしれないが、私は、この曲の一番の魅力は、揺るぎない客観的形式美というより、むしろ絶え間なく動き続ける感情の起伏ーーそれは時に全てを押し流すような大波となり、時に光に照らされて微かにふるえる陽炎となるーーであると思う。またこの曲には、キリスト教の宗教的恍惚と切っても切れないように感じられる部分があり、それゆえにこの曲を完全無欠な全能の神の音楽と見なす人もいるかもしれないが、私には、この曲は完全な神聖さへの限りない憧憬を抱きながらも、ついに「人間」であることを解脱できずに苦しみ続ける精神から溢出する慟哭のように、また祈りのように聴こえる。
 本作は何よりも、人間の音楽である。そこにあるのは、人間のパトスであり、人間の美しさであり、人間の聖性である。

フランク ヴァイオリンソナタ
 セザール・フランク(1822-1890)は大器晩成型の作曲家であった。本日演奏する『ヴァイオリンソナタ』をはじめ、彼の主要作品の多くが還暦を迎えた後に書かれたものである。この晩年期の作品群に共通する作曲上の重要な技法が、「循環形式」である。これはあるモチーフ(動機、音型)を複数の楽章で繰り返し用いる手法であり、これによって曲全体に統一感が生まれる。すなわち、曲にある種の連続的な物語性を付与することができるのである。
 このことについて、かのリヒャルト・ワーグナーがフランクに与えた影響は無視できまい。ワーグナーはその長大な歌劇の中で、ライトモチーフ(指導動機)の使用を徹底し、凄まじい効果を挙げた。フランクは特に『トリスタンとイゾルデ』のスコアをよく研究していたという。しかしフランクは、ワーグナーと自分の相違点について、自らの言葉で明瞭に語っている。曰く、「ワーグナーがやったことは人間の愛を描くことだった。しかし、私がやってきたことは(人間の)神性を描くことだった」。彼は作曲家としての創作を本格化させる前、教会付オルガン奏者として活躍していた。なお、バッハも教会オルガニストとして著名であった。両者は、生涯音楽を通じて神聖さを希求し続けたのである。
 このソナタは全体としては4楽章構成である。まずは幻想的な第1楽章、突如としてこの世ならぬ楽園に連れて行かれたような曲である。次に第2楽章、荒々しい疾走感が印象的だが、ところどころ哀切な情感が静かに表現される。そして第3楽章、冒頭は力強く開始されるが、後半は本曲の中でも特に美しい、詩情溢れるメロディーをヴァイオリンが幻想的に奏でる。最後に第4楽章、ヴァイオリンがピアノを追いかけるカノン風の明朗闊達な楽想に始まるが、パトスは次第に蓄積し、これまでのモチーフを巻き込んで大きなうねりとなって増幅し、目眩のするような転調を繰り返して、ついに頂点に至ったとき、カタルシスを迎える。この瞬間曲はハ長調に転調し、その自然な推進力でこれまでの情念を超克する。その後穏やかに冒頭の朗らかな楽想に回帰し、最後は歓喜を爆発させて全曲を閉じる。(渡部勇一)※引用中括弧は渡部


【プロフィールはこちら】
渡部勇一

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